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472:マニラ列車道楽②日本からの譲渡車両

2012/04/23 (Mon) 22:57
 前回のエントリーでも書きましたが、マニラ近郊では今のところ、日本からの譲渡車両は早朝か夕方以降の運用に限られています。そこで翌日は朝5時過ぎにホテルを出て、Tutuban行きの12系"COMMEX"を撮影に行きました。再びBlumentrit駅で、LRTの電車を撮影していると、PNRの駅に列車が来るのが見えました。
 12系が来るには15分ほど早いなぁと思っていると、来ていたのは12系ではなく、定時では朝04:30Tutuban着のはずの14系"Bicol Express"でした。実に1時間半遅れでの到着です。Blumentritで停車中に線路際まで走っていき、無事に撮影できました。これは撮影できると思っていなかったので、朝から嬉しいハプニングです。
Blumentrit~Tutuban間(2012.4.15)

 昨晩に見たのとは別の編成で、最後尾には改造された12系が1両連結されていました。他の仲間は南部のNaga近郊の通勤列車に使用されているそうです。
Blumentrit~Tutuban間(2012.4.15)

 こちらが本来の目的の12系。さほどの遅れではありませんでした。マニラでは線路沿いを不法占拠していたスラム(スクワッターといいます)を撤去したため、線路の周辺は広々としています(先ほど"Bicol Express"を撮影したのも、数年前までスラムだった場所です)が、それでも朝6時台では太陽が昇りきらず、周辺の家の影になってしまいました。
Blumentrit~Tutuban間(2012.4.15)

 12系を撮影したのは車庫の入口に近い踏切で、車庫側に振り向くと12系と留置中の203系・キハ52系の国鉄型並びになっていました。お互い微妙に姿を変えていますが、12系さえもう少し綺麗な車体であれば、フィリピンとは思えない光景になっていたと思います。
Tutuban(2012.4.15)

 12系はTutuban到着後、すぐに入庫してきました。恐らく、前日に連結器の不調で切り離していた1両をつなぎ直すためと思います。それにしても、晴天で見ると壮絶な状態がよく分かります。塗装が剥げているというだけではすまない状態で、これでよく走れているものだと感心するとともに、相当酷使されてきたのだろうと同情してしまいます。車庫にいる廃車体と並んでも、どちらが廃車か区別がつかないほどです。
Tutuban(2012.4.15)

 昨日はチラッと見ただけの203系ですが、明るいところで見ると、このような感じになります。オレンジ色の帯が意外に似合っています。金網がなければ、常磐線から武蔵野線あたりへ転属したといわれても信じてしまいそうです。10連を分割して5連の状態でDLに牽引されるのは昨日に書いたとおりで、冷房や自動ドアもそのまま使用されるため、この編成では先頭車クハ203-107の車内を区切り、電源室にしています。
 聞いた話では6月からTutuban~Calamba間で使用される予定だそうで、現在は試運転を行っているところです。これが登場すると、12系は間違いなく引退することになるでしょう。
Tutuban(2012.4.15)

 たぶん日本では顔を合わせていないと思いますが、見知らぬ外国で同郷出身者同士で会って安心しているかもしれません。しかし、電化区間のないPNRが、客車にするためとはいえ電車を導入したのは不思議以外の何物でもありません。車体がアルミ製で塗装の手間が省けること以外に理由が考えられないのです。
 同じく203系が行ったジャカルタでは今でも車両不足に悩んでおり、この40両も電車のまま使用できるジャカルタへ行った方が活用方法としては合っていたはずとの思いは今でも消えません。せめて、マニラでは使用することのないパンタや制御機器などをジャカルタに予備部品として譲ることができないかと思います。
Tutuban(2012.4.15)

 キハ52系新潟色は、キハ59系「こがね」とともに"Mayon Limited"に使用されていますが、実は"Mayon Limited"は2種類があり、キハ52系は"Mayon Limited Ordinary"で、Tutuban発が火・木・日、Ligao発が月・水・金で運転されます。
 一方、「こがね」は"Mayon Limited De Luxe"の方で、Tutuban発が月・水・金、Ligao発が日・火・木となっており、実質、土日しか滞在時間のない私には見る機会がありませんでした。PNR本社で撮影許可を受けることなどを考えても、マニラ訪問は平日の方が収穫が多いと思います。
Tutuban(2012.4.15)

 車庫には韓国製DCもいるものの、国鉄の車庫のような雰囲気になっていました。
Tutuban(2012.4.15)

 せっかくなので、車内も見学させてもらいました。
 これは12系で、パッと見は普通に見えますが、昨日の乗車時の画像でも判るとおり、照明は一部しか点かず、座席モケットは荒れ放題、冷房も作動しません。
Tutuban(2012.4.15)

 洗面所もご覧の通りです。トイレもどういう状況かは、推して知るべしです。
Tutuban(2012.4.15)

 続いて14系。これも塗色はそのままですが、PNRマークに加えて"Bicol Express"のロゴも入れられました。
 このマーク・ロゴがまたセンスのいいデザインで、キーホルダーにでもなっていたら迷わず購入するところですが、台湾やインドネシアならともかく、フィリピンでそういうグッズはまず望めません。
Tutuban(2012.4.15)

 入口上の表記は、さすがに英語になっていました。B寝台は「エアコンつき普通寝台」となるそうです。
Tutuban(2012.4.15)

 車内は、一部にタガログ語の掲示物や広告が付けられた以外は全く手を付けられておらず、あの寝台車特有の匂いもそのままで、日本人には非常にノスタルジーを誘われます。ここがフィリピンだということを忘れる瞬間でした。
Tutuban(2012.4.15)

 今回はマニラだけの訪問ですが、いつかこれに乗ってLegaspiまで行ってみたいものです。PNRでは、下段が"A"、上段を"B"としていますが、それ以外の寝台番号は日本時代のままです。
Tutuban(2012.4.15)

 この注意表示こそ、タガログ語か英語に訳しておくべきだと思うのですが…。
Tutuban(2012.4.15)

 12系ではボロボロというか、破壊されていた洗面所やトイレですが、14系ではさすがに必要な設備なので、きちんと整備されています。フィリピンなので、日本のように寝台に荷物を置いたまま顔を洗いに来ることができるかどうか微妙ですが、古びてはいるもののかなり豪華な設備になっているのは間違いないと思います。
Tutuban(2012.4.15)

 車内を見た後、外に出ると、12系は前日に連結器の故障で切り離した1両を連結しなおすため入庫してきました。その後、Sさん経由で聞いた情報では、203系がDLとスムーズに連結できるように、12系の連結器を転用するそうで、やはり203系と入換に12系が引退するのは間近なようです。
Tutuban(2012.4.15)

 この日の夜、Tutuban発の"Bicol Express"や12系、キハ52系"Mayon Limited Ordinary"を撮影するべく、眠い目をこすってBlumentrit駅に行きました。
 始発の次の駅なのに、早くもダイヤは大乱れで、Tutuban18:30発の"Bicol Express"がいつまで経ってもきません。その合間にComuterの韓国製DCが数本やってきました。これも既に運転が終わっているはずの時間なので、
大幅に遅れていたのでしょう。
 画像は踏切の状況で、列車が来ると警手が警報を鳴らしますが、遮断機は下りてきません。故障して放置されたままなのでしょう。代わりに警手が"STOP"と書いたプレートを持って小屋から出てきて、自ら歩行者や自動車を止めます。これがなかなか言うことを聞かず、警手が大声をあげても、列車が見えていても人々は悠然と踏切を渡っていきます。投石とあわせて鉄道がなめられている証拠で、ファンとしては見ていて腹立たしい限りです。
 とはいうものの、列車が来ないときでも警報が鳴ることがよくあり、回送でも来るのかと思って見たところ、踏切上に自動車やジプニーなどが停まると、それを追い出すために鳴らしているのでした。遅れている"Bicol Express"を待ちわびている私には紛らわしい限りで、何度も騙されました。 
Blumentrit(2012.4.15)

 結局、2時間ほど待ったところで、20:30Tutuban発のLigao行きキハ52系新潟色"Mayon Limited Ordinary"が先に来てしまいました。"Bicol Express"が定時に来ていれば、この間の2時間で夕食にする予定だったのですが…。
 しかも"Mayon~"はBlumemntritには停まらず、写真は撮影できなかったので、同時撮影していた動画のキャプチャーを載せます。
Blumentrit(2012.4.15)

 結局、21時頃になってようやく来た"Bicol Express"も、時刻表上では停車するはずのBlumentritを通過して行き、しかも右側通行のはずが左側通行で来るというおまけ付きでした。その10分ほど後にようやくBinan行き12系"COMMEX"が到着、これもなぜか左側通行でした。
Blumentrit(2012.4.15)

 こうして、定時では最終列車の"Mayon"から見ても45分遅れでBlumentrit駅の1日の業務は終わりました。
 夜とはいえ暑い中を3時間近く待たされた私は夕食に行く気力すらなく、LRTでホテルに戻った後、サンミゲルビールの助けを借りずに気絶してしまいました。

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471:マニラ列車道楽①PNR Tutuban駅と12系

2012/04/22 (Sun) 16:38
 4月13~16日、フィリピンの首都マニラに行ってきました。
 ジェットスター航空のキャンペーン価格で関空~マニラ間が片道8,000円という破格の値段で出たことで決意したものです。
 調べてみればマニラはただ「治安が悪い」の一言で、不安極まりないまま出発しましたが、行ってみればジャカルタよりは要注意ながら、気をつけてさえいれば何とか無事に帰ってこられるという印象でした。これはどこの国でも同じではありますが…。

 フィリピン国鉄(Philippine National Railways、略称PNR)は旅客減少や自然災害等で消滅寸前まで行きましたが、近年になってJR東日本からの中古車両導入や軌道・駅設備改良により、息を吹き返しつつあります。
 その詳細は追って書いていくとして、マニラでの始発駅Tutubanは、1892年開業の由緒正しい駅ですが、PNRの赤字経営解消のため1989年に駅部分が売却され、ショッピングセンターになりました。とはいえ、当時の駅舎は外観がそのまま残され、面影は十分偲べますが、中に入れば普通のショッピングセンターで駅らしさは全く残っていません。
 人の多い場所なので、タクシーで行く場合や町で人に道順を聞く場合は「Tutuban駅」よりも「Tutuban center」と言った方がすぐに分かってもらえます。
Tutuban(2012.4.14)

 では、現在のTutuban駅はどうなったかというと、一旦500mほど後方の機関区横の線路上(!)から乗降するようになり、そこをTayuman駅としていました(今でもこの駅を地図に載せているガイドブックがありますが、現在は跡形もなくなり、列車は停車しません)。2007年6月になってTutuban centerから300mほど後方にあるPNR本社の手前にホームが造られ、本社の1階ロビーを開放して出札口兼コンコース兼改札口としました。向かって右側が駅の出入口になっており、辺鄙な場所ですが、列車が到着すると意外に大勢の人が降りてきます。
Tutuban(2012.4.14)

 PNR本社1階ロビー兼Tutuban駅コンコースです。画面中央の左側に見えているのはインフォメーションカウンターで、この裏に出札口と改札口があるのですが、判りにくいためか、近郊列車の乗車券は画面右奥の入口で机を出して発売しています。なお、フィリピンの公共施設はどこでもそうですが、入場の際は手荷物をチェックされます。鞄を開けて警備員に中を見せる(爆発物がないか調べられる)のですが、私たちもリュックサックを開けて中のカメラを見せると、それ以上は何も詮索されませんでした。いかにも外国人という風体で、カメラを持っていると人畜無害だと思われるのでしょうか。 
Tutuban(2012.4.14)

 コンコースには列車の写真の他、作業用車両(職員輸送車?)が展示されていました。マニラ北部のCaloocan鉄道工場に置いてあったものを整備して持ってきたようです。
Tutuban(2012.4.14)

 駅のホームには203系や12・14系が留置中で、撮影意欲が湧いてきますが、警備員に「駅構内での撮影は駄目だ」と言われました。こういうこともあろうかと、PNR本社の担当者の方を紹介して頂いていたのですが、行ったのが土曜日で本社は休み、どうしようもできません。揉め事は起こしたくないのでおとなしく引き下がりましたが、諦めきれないので車庫に行き、撮影してもいいか聞くと"OK!"とのことで、ありがたく撮影させてもらいます。というわけで、車庫から見た駅構内です。一挙に40両もの203系が譲渡され、空いている側線は全て203系で埋め尽くされています。
Tutuban(2012.4.14)

 車庫ではキハ52系の国鉄色、新潟色が休憩中でした。真ん中にいるのは近郊列車"Commuter"用の韓国製DCで、これについては後で採り上げます。キハ52はPNRで窓に投石防止用の金網取り付けなどのほか、塗装変更もしたかったようなのですが予算不足で色はそのままになり、貫通扉と側面にPNRマークを入れられただけになりました。それが案外似合っていていい感じです。
 現在、キハ52系は新潟色がキハ59「こがね」と共通でTutuban~Ligao間の長距離夜行列車"Mayon Limited"に使用され、国鉄色は臨時列車や韓国製DC故障時の代走に使用されています。
Tutuban(2012.4.14)

 新潟色はまだ走りを見られる可能性がありますが、国鉄色は車庫で見るだけか…と思っていると、いきなり出庫してきました。入換のためだそうで、曲がりなりにも走る姿が見られました。車庫内には12系の廃車体も放置されており、思わぬ顔合わせも撮影できました。
Tutuban(2012.4.14)

 フィリピンではインドネシア以上に列車への投石がひどく、正面だけでなく側面窓にも金網が取り付けられています。これは他の車両も全て同じです。また、乗降扉の窓は金網を付けると開閉できなくなるため、キハ52系と203系は窓を鉄板で埋めてしまいました。
 列車への投石ですが、私にはなぜこんなことをするのか理解できません。列車を悪魔の使者とでも見る迷信でもあるのでしょうか。東南アジアで列車への投石はフィリピン・ベトナム・インドネシアでのみ見られるものだそうで、ベトナムは知りませんが、インドネシアで投石するのは子どもだけなのに対し、フィリピンは大人も石を投げるところが、さらに悪質です。以前、ジャカルタの友人に「列車への投石がある限り、インドネシアはいつまで経ってもフィリピンと同レベルだ」と言って露骨に嫌な顔をされたことがありますが、これは子どもの頃から教育をしないと断ち切れない流れのようなもので、前途多難です。
Tutuban(2012.4.14)

 203系とも並びました。203系は10両編成を2分割して5連で客車として使用されます。このため、中間車が正面に出てくることもあるわけで、これも必要ないと思われたのか、妻面の窓が鉄板で埋められました。
Tutuban(2012.4.14)

 色々撮影していると、あっという間に日が暮れます。日本から譲渡された車両は基本的に早朝と夕方にしか走らないので、日本人鉄道ファンはこれからが忙しくなります。まずはTutuban18:30発のLegaspi行き"Bicol Express"。周囲は既に真っ暗で、ブレた画像ですが普段撮れないところだということでご了承願います。PNRの長距離列車は今や、先述の"Mayon Limited"とこの"Bicol Express"だけになりました。
Tutuban(2012.4.14)

 続いて18:45発のBinan行き"COMMEX"に12系が充当されます。これがTutuban発の最終列車になります。駅で聞くと、"Bicol Express"は短距離での乗車はできないとのことだったので、普通乗車券で乗れる"COMMEX"に乗ってみることにしました。
Tutuban(2012.4.14)

これが12系の車内です。明るく見えるのは露出に失敗してオーバー気味になったからで、見ての通り車内照明は一部しか点灯しておらず、実際は相当薄暗いです。座席もモケットは方々で破れてガムテープで補修したのが更に敗れている始末、当然クッションやスプリングなどはなく、来る前に予想していた通りの「フィリピンの列車」がそこにありました。ネット等には「現地の人でも乗るのを嫌がる」と紹介している場合がありますが、女の子同士でも乗っており、そこまでひどい雰囲気ではありません。幸いにも、乗っている間に投石はありませんでした。
 とはいえ、用心に越したことはないので駅で降りる直前にリュックにしまっていたカメラを取り出し、サッと撮影したもので、ブレた画像になってしまいました。
(2012.4.14)

 降りたのはTutubanから1駅目のBlumentritです。1駅でもう満腹になったといいつつ、停車中の列車を撮影します。周囲は下町のようなところで、街灯も少ないのですが、これを撮るために来た以上、撮らないわけにはいきません。
 BlumentritはLRT(高架鉄道)1号線と接続しており(後方に見える高架がLRTの駅です)、これに乗り換えればホテルまで一直線です。この時期のマニラは気温30℃、暑さにバテたSさんと私は、サンミゲルビール数本ですぐに気を失ってしまいました。
Blumentrit(2012.4.14)

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443:台湾火車道楽⑥慶祝烏樹林糖廠観光列車10周年

2012/01/18 (Wed) 00:38
 蒜頭糖廠訪問の翌日、友人犀牛王さんと一緒に虎尾糖廠へ向かいました。
 ここは台湾で現在唯一、トロッコでサトウキビを運搬している工場で、今年も11~3月の間、午前中を中心に3~5本程度の列車が運転されています。
 この日(12月31日)は天気が悪く、初めて行く場所でもないので、今回は高鐵との交差部分で高鐵700T系とサトウキビ列車の顔合わせをメインに狙いましたがことごとくタイミングが合わず、3年連続で失敗してしまいました…。
虎尾糖廠(2011.12.31)

 不完全燃焼で虎尾を後にし、再びGP7500さん達と合流して烏樹林糖廠へ向かいます。ここは観光用トロッコ列車の中では最も有名なところで、機関車もスタンバイ中でした。
烏樹林糖廠(2011.12.31)

 上の画像で右側に写っている954号は「金馬牌」というアメリカ製DLで、烏樹林に4両だけが納入された非常に貴重な車両です。正面に金色の馬のレリーフが付いていますが、これは観光列車として使用されるようになってから付けられたもので、最初からあったわけではありません。
 今日はこれが出動します。
烏樹林糖廠(2011.12.31)

 上の画像で付いていたヘッドマークは、台湾側の参加者の方が作成されたもので、今年(2011年)は烏樹林糖廠で観光トロッコ列車が運転を開始して10周年にあたります。私はこれを見て初めて知ったのですが、今日は皆で10周年を祝おうという集まりだったのでした。
 それにしても、台湾の人はこういうマークやグッズなどの記念品をデザインさせると、本当にセンスがいいといつも思います。このマークも「自宅のプリンターで印刷してボール紙に貼り付けたのをカッターで切り抜いた」そうで、DLには紐でくくりつけてあります。日本なら安全云々でなかなか自作ヘッドマークの取り付けが許可されませんが、トロッコとはいえOKしてくれる台湾の大らかさが嬉しくなります。 
烏樹林糖廠(2011.12.31)

 烏樹林では2003年からSLの復活運転も行われています。そのSL370号は、この日は運転がなく、車庫で昼寝していました。少し残念なのは、370号は動力が石炭ではなく重油焚きなことで、走り出すとSLのブラストよりもバッテリー発電機の音の方がよく響きます。渓湖糖廠でもSL346号が運転されていますが、こちらが石炭焚きなだけに実に惜しいです。
烏樹林糖廠(2011.12.31)

 「金馬牌」が客車を連結して烏樹林駅に入線してきます。客車といっても、この2両は本来はディーゼルカーで、各地の糖廠で旅客輸送(以前は各地で行われていました)に使用された後、烏樹林に引き取られ、整備されました。手前の「勝利号」(1949年日立製)は自走可能です。2両目の「成功号」も各地を転々とした後、スクラップ状態になっていたのを昨年(2011年)4月に烏樹林糖廠が引取り整備したもので、今回は車体は綺麗になったものの自走はできず、こちらは本当に客車代用となっています。
烏樹林糖廠(2011.12.31)

 烏樹林糖廠は鉄道関係の展示に力を入れており、各地の工場から集められた巡道車や保線用車両など個性的な顔ぶれが構内に留置され、解説板も整備されていました。これらのほとんどが可動状態(動く機会は少ないですが)なのには驚きます。構内の外れには阿里山鉄道の客車まで置かれていますが、朽ち初めているのが気になりました。
烏樹林糖廠(2011.12.31)

 発車が15時20分なので、それまで思い思いに撮影する日台双方の鉄道ファン。言葉が通じなくても、鉄道の話題であればボディランゲージで何とかなってしまうのが恐ろしいです(笑)
烏樹林糖廠(2011.12.31)

 発車前に、烏樹林駅の林駅長(鉄道が現役だった当時からの駅長)や運転士さんやスタッフの方々と記念撮影。
烏樹林糖廠(2011.12.31)

 私たちで貸切状態になった「成功号」の車内です。整備されたばかりとあって、非常に綺麗です。ここでもガイドさんが乗り込んで車両の由来や車窓から見える草木の説明などをしてくれますが、当然全て中国語です。
 「成功号」と「勝利号」の連結運転は、ちょうどこの日までだったそうで、しかも乗っている列車が最終便と、きわどいところで間に合いました。
烏樹林糖廠(2011.12.31)

 終点の新頂卑(正しくは土へんに卑です)駅で折り返し途中に機回しをする「金馬牌」。 
烏樹林糖廠(2011.12.31)

 「勝利号」と「成功号」(手前)だけの2連もなかなか絵になります。この2両は同じ車体だと思われがちですが、扉の配置(『成功号』は運転台の直後に扉があり、左右非対称になっています)や屋根上のベンチレーターの有無など、結構違いがあります。
烏樹林糖廠(2011.12.31)

 機回しが終わると、ヘッドマークも前後に付け替えます。連結してから発車までの時間が短いので、結構慌しい作業でした。 
烏樹林糖廠(2011.12.31)

 参加者のうち、Hさんたちは乗車せずに車で追いかけて撮影していたので、私も復路は車に便乗させてもらい、撮影することにしました。列車は全体的にスピードが遅く、距離は短くても自動車ならすぐに追い越せます。
 この何ともいえない雰囲気、模型にしたくなるような編成です。
烏樹林糖廠(2011.12.31)

 簡単にいうと、烏樹林糖廠の路線はラケット状になっており、復路は途中で分岐して往路と異なる場所を通ります。
烏樹林糖廠(2011.12.31)

 後追いでも撮影。私達も車内から撮られていました。
烏樹林糖廠(2011.12.31)

 駅手前の降車ホームで乗客を降ろし、烏樹林駅へ戻るところです。復路も乗車していた参加者の方々は、駅への入線を撮るべくダッシュしていました。それで間に合ってしまうので、この列車がどれくらいの速度かはお察し頂けると思います。
烏樹林糖廠(2011.12.31)

 駅に戻った列車は入換を行い、「勝利号」「成功号」は展示用の線路に戻されました。このままここで展示されるのかと思うと、再び動き始めました。 
烏樹林糖廠(2011.12.31)

 先に「勝利号」が機関庫の中に入れられている間、順番待ちの「成功号」でちょっとした撮影会になりました。この姿で走るところも見てみたかったですが、まだ自走できないので今日は形式写真の撮影だけで我慢です。
烏樹林糖廠(2011.12.31)

 機関庫に格納された「勝利号」と「成功号」。あたりが薄暗くなり始めたこともあって、ものすごくいい雰囲気になっていました。
烏樹林糖廠(2011.12.31)

 私の2011(平成23)年の「鉄納め」は、こうして充実した内容で終わりました。翌日つまり1月1日は午前便で帰国し、その足で阪堺電車に向かい、「鉄初め」となりました。いつになっても、やっていることは変わらないというわけです…。

 2日間にわたり、楽しい貸切を企画・実現して頂いたGP7500さんに、この場を借りて御礼申し上げます。
 

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442:台湾火車道楽⑤蒜頭糖廠の巡道車

2012/01/16 (Mon) 23:07
 台湾の製糖工場(糖廠)で今なお稼動しているのは数えるほどになりましたが、操業を停止した工場のうち6か所(烏樹林、渓湖、蒜頭、新営、高雄(橋頭)、南州)では、サトウキビ運搬用のトロッコ列車を観光用に整備して運転し、好評を博しています(南州は現在運転休止中)。
 そのうちの蒜頭糖廠で、12月30日に巡道車(モーターカー)を知人GP7500さんがチャーターされ、私も参加させて頂きました。

 発車地点の蒜頭駅で居並ぶトロッコ列車。軌間762mmが新幹線(1435mm)の半分ということで、台湾ではこの手の軽便鉄道のことを「五分車」といいます。客車はサトウキビ運搬用貨車を改造したものです。
蒜頭糖廠(2011.12.30)

 乗車できる線路の長さは各工場によって異なりますが、この蒜頭は蒜頭駅を挟んで場外へ出て行くのと工場内を周る線路があり、距離は長い方です。終点が片やスイッチバック、片や機回し線のない行き止まりなので、列車はプッシュプルで運転されています。工場内を周って蒜頭駅に戻る途中で正門の前を横切り、併用軌道のようになっていますが、ここで降車を行うこともあります。
蒜頭糖廠(2011.12.30)

 トロッコ列車の他にも怪しい車両が色々とあり、中には放置されているものもありますが、その中で一際目立つのが客車よりも車体の小さいモーターカーです。
蒜頭糖廠(2011.12.30)

 これは「巡道車」というもので、製糖会社の役員など幹部や訪問者がサトウキビ畑を視察に行く際に乗る車両です。他の糖廠にもいますが、それぞれ形状が異なり、どれも個性の強い外観なので非常に印象深い車両です。
 私たちの貸切の前に、欧米人の団体がこの巡道車に乗っていました。車内はかなり窮屈そうでした。
蒜頭糖廠(2011.12.30)

 いよいよ私たちの番です。運転士さんと周囲を監視する係員さんのツーメン体制で、まずは工場を出てすぐの小さい鉄橋に停めて、思い思いの構図で撮影します。
蒜頭糖廠(2011.12.30)

 そのうち、後から警笛が。後から発車してきたトロッコ列車が追いついてきてしまいました。一旦工場内に引き上げ、別の線路に移ってトロッコ列車を待避します。ポイントが全て手動なればこそできることです。
蒜頭糖廠(2011.12.30)

 後から来た列車は客車が1両だけで、折り返してきたときもこのまま逆走してきました。旅客が少ないからかこれも貸切なのかはよく分かりません。ただ、1両だけでもガイドさんが乗り込んで、大音響で五分車や砂糖についての解説をすることに変わりはありませんでした。
蒜頭糖廠(2011.12.30)

 撮影に適した場所に来ると、台湾側の参加者のHさんが運転士さんに停車するよう頼んでくれます。1本だけ咲いていた桜?の前でも停車。Hさんは相当前から「もう少し行ったところで停めて」と頼んでいましたが、沿線を知り尽くしていないとできないことです。
蒜頭糖廠(2011.12.30)

 
 ここが終点です。ここから1kmもしないところ(右の道路の突き当たり)に高鐵嘉義駅があり、蒜頭へ行くには嘉義駅からタクシーが便利で10分もかからず、時間があれば歩いてでも行ける距離です。ご覧のとおりこの先に障害物があるわけでもなく、この線路を嘉義駅まで伸ばしてくれたら訪問しやすくなるのに…と皆で言っていました。
蒜頭糖廠(2011.12.30)

 巡道車は小柄な車体ですが両運転台で、運転方法は自動車と同じ、つまりレールバスです。台湾の参加者の皆さんが「南部縦貫鉄道と一緒」と説明してくれました。台湾で南部縦貫の名前を聞くとは…。メーターがありませんでしたが、思ったよりもスピードが出ました。その分振動も激しくなりますが。
蒜頭糖廠(2011.12.30)

 工場構内に戻ると、またHさんから停車依頼が。トイレの真正面で、別に景色のいいところでもないのになぜ?と思うと、洗面台の鏡に巡道車の全体が映るので、面白い写真が撮れるとのことでした。もう脱帽です。
蒜頭糖廠(2011.12.30)

 工場といっても今では稼動しておらず、観光スポットになっているので、構内には木や芝生がたくさん植えられています。その中で停まると、台湾というより、何かの本で見た東欧あたりの森林鉄道を連想させる風景になります。
蒜頭糖廠(2011.12.30)

 もう片方の終点手前でスイッチバックして、工場も入れて1枚。
蒜頭糖廠(2011.12.30)

 大満足のうちに貸切は終わりました。GP7500さんによると、これだけの内容で貸切運賃は1,500元(約5,000円)だったそうで、要員手配の関係で前日までに現地へ言って申し込まないといけない以外は非常に手軽な貸切でした。幹事のGP7500さんや案内して頂いたHさん他、台湾の皆さんには感謝あるのみです。

 正門前に保存されているSL368号。これが復活でもしてくれたら、また蒜頭に行かなければならなくなります…。 
蒜頭糖廠(2011.12.30)

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440:台湾火車道楽④噂の福井食堂

2012/01/14 (Sat) 20:15
 DT668試運転撮影の後、同行のktkrさんが「福井食堂へ行く」ということで、私も前から行ってみたかったので、連れて行って頂くことにしました。途中で合流したGP7500さんたちと総勢5名で向かったのが社頭駅、ここから駅前通り(社斗路)を6~7分ほど歩くと、目指す「福井食堂」がありました。
 ここは台湾の鉄道ファンにも非常に有名な店で、見てのとおり看板は駅の駅名票と同じデザイン、入口も客車の扉をイメージしたものになっています。
 以前は向かいで営業されていたのですが、この12月24日から新店舗へ移転したものです。実は私も9月に一人で来たことがあるのですが、新店舗が建設中で旧店舗も営業しておらず、DT668ともども今回が再挑戦です。
(2011.12.30)

 営業は19時までですが、私たちが訪れた18時過ぎにはほとんどのメニューが売り切れになっており、入ってまもなく営業終了となりました。入ったときは座席が全て埋まり、営業終了後も何人かのお客さんが来ていたことからも分かりますが、ここの食事はおいしいと評判で、鉄道を抜きにしても人気店なのです。この手の店は見た目が奇抜でも、味は期待できないという思い込みが見事に払拭されます。
 この画像は他のお客さんが全員出てから撮影したものですが、旧型客車の椅子に壁に飾られた写真や模型など、これだけで鉄道ファンにはたまりません。カウンターの奥には社頭駅を発車するSLの壁画もあります。ちなみに、この画像の左奥に少し見えているのは小型しゃもじの陳列で、このしゃもじには鉄道ファンや外国人または芸能人のお客がサインをしています。私たちもしゃもじとペンを渡され、サインをさせてもらいました。
(2011.12.30)

 店が混んでいる間、店主の陳朝強さん(阿強先生)が「2階を見て行って下さい」とのことで、上げさせてもらうと、そこには台湾鉄道ファンには夢の空間が広がっていました。 
(2011.12.30)

 「福井鉄道文物館」と称したこのスペースには、鉄道部品やグッズ類が所狭しと並んでいます。恐らく台湾でもここにしかないという資料もあり、戦前の台湾鉄道の各駅配線図や客車の図面、果ては職員の履歴簿(沖縄出身の人の名前が目立ちました。当時、沖縄で職がない人々が大勢台湾に渡ってきたそうです)まで、もうため息しか出ないものばかりでした。台湾鉄路管理局や博物館なども、展示会をするときに資料を借りていくことがあるそうです。
(2011.12.30)

 阿強先生はお祖父さん、お父さんが鉄道員という環境で育たれ、その結果鉄道が好きになったという由緒正しい(?)ファンです。非常に人懐っこい人で、あれもこれもと次々と資料を出してくれるのですが、逆に破れたり壊れたりしないかとこちらが心配になるほどでした。これらのコレクションは、お父さん達の協力もあって集められたのでしょうが、それだけでここまでは集めきれないと思うので、阿強先生自身も相当苦労されたのではと思います。
(2011.12.30)

 3階に行くと、部屋の中に改札口がありました。これだけで十分なインパクトです。かつての台鐵淡水線新北投駅にあった物で、淡水線は1988年に捷運(都市交通)建設のため廃止されましたが、駅舎は彰化県の民俗文化村に移築・保存されていました。ところが民俗文化村は経営悪化で閉園、駅舎も取り壊されることになりましたが、その際に阿強先生が譲り受けたのだそうです。その奥には駅務室が再現されていました。
(2011.12.30)

 食堂が空いたのを見計らって、私たちも食事を頂きました。迂闊なことに写真を撮り忘れてしまいましたが、ランチはご飯に鶏排(台湾のチキンカツ)、野菜の炒め物がメインで、あっさりした味は万民受け間違いなしです。特にご飯がおいしいと思ったのですが、台湾の米でも特に高級品種といわれる「濁水米」を使われており、この濁水米は台北で買うと値段が高いものだそうで、こういう点でも台湾の奥深さが思い知らされます(この辺はktkrさんの受け売りで書いています)。また、阿強先生おすすめの鶏を一羽まるごとフライしたもの(正式な料理名を失念…)も絶品で、趣味だけでなく食事も大満足でした。なお、台湾で行われる鉄道イベントで配られる弁当も福井食堂からの仕出しであることが多く、その際の弁当箱見本をいくつか見せてもらうと、確かに見覚えのあるデザインがいくつかありました。
 気になる「福井食堂」の由来ですが、日本の福井県とは関係がなく、阿強先生によると「幸福がたくさん沸いてくる井戸のような食堂になりたい」というのが由来だそうです。少なくとも私たちには幸福が沸いてきました。日曜定休というのが週末メインで台湾に来る私には制約となりますが、ここは万障繰り合わせてでも再訪するつもりで、これから台湾へ行かれる方々にもぜひ足を運んで頂きたく思います。

テーマ : 台湾 - ジャンル : 海外情報


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