2007/02/25 (Sun) 23:01
大井川鐵道は、SLだけでなく電車でも魅力的な鉄道で、近鉄・南海・京阪から来た車両が同じ線路を走っているのは関西人にはたまらない光景です。その中で元近鉄421系だけは旧性能・非冷房ということもあって普段の運用機会が少なく、私も行楽シーズンの増結運用でしか走行シーンを見たことがありませんでした。
その421系が2月25日に通常運用に入ると聞き、早速撮影に行ってきました。
これは前日に行われた
SLイベントの余興で特別に運用されたもので、大井川本線を4往復しました。私も421系は近鉄時代に養老線で何度か乗ったことがあるので、塗装(大井川に来てから旧近鉄特急色に塗り替えられました)が替わった以外はほとんどそのままの姿に喜んでいたのですが、SL列車が運転されるときほどには沿線に同業者の姿はありませんでした。
暗くなってからは折角なので乗車もしてみましたが、吊り掛けモーターの音は聞こえても、車体が全金属製のためか、他社の吊り掛け電車に比べるとあまり響かず、音の面では少々物足りない感じでした。
運用を終わった後、新金谷で車両交換となりましたが、421系の後を受けるのは同じく元近鉄の16000系、営業運転中の名古屋線と南大阪線の特急車が顔をあわせるのは近鉄でもなかったことです(笑)
大井川名物のSL列車は通常、1日1往復で、この日はC10 8が牽引してきました。他社と違って客車も旧型をそのまま使用しているので貫禄と雰囲気は十分、電車好きの私でも感動してしまいます。
他の電車では元南海の21000系も主力として健在です。願わくば、塗装をもう少し綺麗に整備してほしいと思いますが…。
元京阪3000系も元気に走っていました。近鉄・京阪・南海の電車が一堂に顔をあわせる光景は、ここ以外では鉄道模型でないと見られません。
スポンサーサイト
2007/02/25 (Sun) 22:57
2007/02/25 (Sun) 22:32
名鉄では「
春の犬山観光キャンペーン」の一環で2月24日から「パノラマスーパー」1000系1005Fの側面にラッピングを行い、「犬山時代絵巻号」として運転を開始しました。
初日の24日には犬山9:20発の内海行き特急で発車式が行われました。この後、5月31日まで主に新鵜沼~河和・内海間の特急に使用されますが、長期間運転されるといっても、名鉄の場合、複雑な車両運用から1編成を探し出すのは大変なので、運用の判明している初日に撮影に行っておきました。
全車指定席の1000系も引退が予定されているので、今後の動きから目が離せません。
2007/02/22 (Thu) 23:49
長野電鉄の後、このまま帰るのももったいないので、上田交通別所線モハ5253保存車
「丸窓電車資料館」に寄ってきました。モハ5250形(昭和2年製)は昭和61年の1500V昇圧により引退後、別所温泉駅に保存されたモハ5251・5252は状態もよく、目に付きやすい位置にあるので有名ですが、残るモハ5253は長らく解体もされずに放置され、私も中塩田駅の側線で痛ましい姿になっているのを見て驚いたことがあります。
そんな同車を平成16年に長野計器㈱が引き取り、修復のうえ同社丸子工場で保存されることになりました。昨年3月からは資料館として一般公開されていますが、電車で行くには少々不便なので、行こうと思いつつも今までずれこんでしまいました。
上田電鉄別所線下之郷駅からタクシーで5~6分ほど行くと、工場の正門前に鎮座ましますモハ5253が見えてきました。別所線沿線というにはほど遠い場所ですが、工場の真ん前を昭和38年に廃止された西丸子線が走っていたそうです。
外観はあのボロボロだった電車と同じとは思えないほど見違えて美しくなっています。架線柱や信号(このおかげで撮影は苦しい)、架線まで整備されていて、一企業での保存にしてはかなり本格的です。そもそも、モハ5250形の計器類はこの長野計器㈱の製品が使われており、その縁でここに来たそうです。車内は施錠されていますが、架線柱のインターホンを押して5分ほど待つと職員の方が来られ、中に入れてもらえました。
車内は座席を半分取り外して資料展示コーナーになっており、丸窓電車だけでなく、他の上田交通の路線や国鉄などの写真や乗車券なども展示されています。東急の資料が展示されているのは親会社なので何となく分かりますが、同じ東急系とはいえ、伊豆急行の記念乗車券まであったのは不思議でした。
乗務員室も出入り自由、黒光りする渋い内装を見ていると、現役時代に乗れなかったことを非常に残念に思います。
乗車券や写真、古い路線図などの他、かつて使用されていた駅名票などの部品も展示されていましたが、これらが妙に綺麗なので、おそらくレプリカだと思います。
おみやげにカレンダーを頂いて下之郷駅に戻ってくると、東急時代の姿に復元(色帯を剥がしただけですが)された7200系7254がやって来ました。上田電鉄も存続が取り沙汰される状況にありますが、何とか頑張ってほしいと思います。
2007/02/22 (Thu) 22:49
長野電鉄では
特急運転開始50周年を記念して、2000系A編成(2001F)の塗色を登場当時のマルーンに復元し、2月17日から運転を開始しました。特急運転50周年ということは2000系も50歳を迎えるわけで、一線を退いても今なお特急に使用されているのでとてもそうは見えなかっただけに驚きです。
昨年12月に1000系「ゆけむり」がデビューしてから、2000系は朝夕のB特急と送り込みの普通列車の運用が主体になり、代走でもない限り昼間には走らなくなりました。2本ある運用のうち、私が訪れた日はA編成が午前一杯走る運用に入っていたので、主だった撮影地を廻ることができました。下回りの機器もグレーに塗り直され、順光になると見事の一言に尽きます。
外観に比べて、車内は全く手を付けられていませんが、このような案内表示が掲出されていました。
架け替え間近の村山橋を行くA編成です。方向幕やワンマン表示はそのまま(通常運用に入るので当然ですが)、ヘッドマークも現在のもののままですが、雰囲気は十分です。
ここまできたら、昭和39年~平成2年までの「りんごカラー」(赤と白のツートンで、これに対しマルーンは「栗」と呼ばれています)もぜひ期待したいですが、何と7月からもう1本のD編成がこの色に戻るそうです。長野電鉄恐るべしです。
2007/02/18 (Sun) 22:07
先日、所用で高知まで行き、その合間にはりまや橋交差点などで土電の電車を見ることができました。高知行きは約1年ぶりですが、その間にもいくつかの変化が見られました。
ワンマン化前の旧塗装になった213は当初、正面の前照燈周りも緑色でしたが、その後、当時の211~221は塗り分けが異なっていたことが判明し、クリーム色に修正されました。それだけでも結構印象が変わったような気がします。
名鉄美濃町線から譲渡された590形(右)は、一昨年12月の運用開始時は「乗務員教習が間に合わない」とのことで桟橋線専用車になっていましたが、昨年から後免・伊野線にも入るようになりました。後免や伊野近くには美濃町線に雰囲気の似た区間もあるので、撮影には喜ばしいですが、一旦逃すと帰ってくるまでに時間がかかるのはやむを得ません。
また、昨年3月までの予定だった元山陽電気軌道702の復元塗装車「ふくふく下関号」(左)は好評のため、今年12月までこの姿のままで運転されることになりました。下関と岐阜と果ては外国の電車までが在籍するとは…。
伊野線朝倉電停がサブ駅名の「高知大学前」も正式表記されるようになり、行先表示や路線図では「朝倉(高知大学前)」となり、名物の方向板も書き換えられました。新しい板も毛筆体のままなのが土電らしいと思います。
最近の時勢のせいか、土電でも広告電車の数がかなり減っていました。現行の標準塗装でも側面腰板の扉間は広告スペースとしてクリーム色1色にしていましたが、広告のない場合、この部分にも青帯が入れられた車両が増えてきました。本来はこちらが標準塗装なので、これも撮影には助かるのですが、土電の経営を思うと広告が少ないのも心配です。
この他にも、市内均一運賃区間が曙町東町~介良通間に拡大されていたり、全線有効の1日乗車券(これまでは均一区間しかなかった)が発売されたりと、かなり便利になっていました。有難いことです。
【撮影協力】平みちのりさん
2007/02/12 (Mon) 16:32
再び台湾へ行くことになりました。今回の目的は2月10日に開催された「
台湾鐵道網」主催の阿里山鐵道のシェイ式SL25号の復活運転「
黄金諾奇(Golden hinoki)號」で、動くシェイが見られる滅多にない機会なので、急遽航空券を手配しました。
前日の9日、台北から阿里山鐵道の始発駅嘉義まで、台湾鐵路の優等列車「自強號」で向かいました。10日の集合時間(9時半)なら、高鐵の始発でも十分間に合うのですが、あえて前泊にしました。というのは私たちが乗った「自強1038次」には
EMU100系が運用されるからで、台北~嘉義間3時間、吊り掛けモーター音を堪能させてもらいました。画像は嘉義到着後、翌朝まで停泊されるEMU100系です。この姿が見られるのもいつまででしょうか…。
翌朝、嘉義駅で受付を済ませて、早速ホームで入線してくる25号機を待ち構えました。9時40分頃、甲高い汽笛とともに25号機が姿を現すと歓声とともにシャッター音がひっきりなしに続きます。
これが25号機に取り付けられたヘッドマークです。「諾奇」とは日本語の「ひのき」に近い中国語発音の漢字をあてたもので、台湾でも檜は檜と書きます。台湾は檜の産地として有名で、阿里山鐵道も木材の搬出用に敷設され、日本統治時代にここから伐り出された檜は橿原神宮や靖國神社の神門、東大寺大仏殿の垂木などにも使用されています。もっとも、戦後は乱伐がたたって生産量が減り、現在は阿里山一帯での伐採は禁止されているので、阿里山鐵道も観光客を運ぶだけになってしまいました。
今回、25号機に連結されたのは総檜造りの客車で、一昨年に観光客向けにシェイ専用として製造されました。私は初めて乗りましたが、車内に入ると檜の香りが充満していて、窓を開けても匂いが取れないのには驚きました。
10時に嘉義駅を出発した「黄金諾奇號」は、阿里山方からDL-42+檜客車4両+25号機という編成で、往路は向きの関係上25号機は引っ張られるだけです。まずは機関区のある北門駅に停車し、公園として一部が開放されている車庫内で小休止です。
北門機関区にはシェイの僚機23号機を初め、客車やディーゼルカー、機関車などがいくつか保存されており、鉄道マニアから親子連れまで結構楽しめます。
今回の参加者は鉄道ファンと親子連れが半々といったところで、記念撮影をする人が多いので、私たちファンからはなかなか思うような写真が撮れずに苦労しましたが、台湾でも非常に珍しい存在のシェイの人気は相当なものでした。
北門を出て、次の竹崎を過ぎると、いよいよ山間部にさしかかります。のんびりと勾配を右に左に登っていくと、駅でもないところで再び停車しました。これから撮影タイムとのことでしたが、案の定ここでも家族連れの記念撮影でシェイ周辺は占拠され、このような写真を1枚撮るのがやっとでした…。
何分にも車齢90年を超えるシェイが、かつてのように勾配を登るには無理があり、今回も竹崎の次の木履寮駅で折り返しです。車窓風景はこれから面白くなるだけに、ここで帰るのは残念ですが、年が年だけに仕方ありません。折り返し時間中に、著名な鉄道作家蘇昭旭さんによるシェイや阿里山鐵道についての解説がありましたが、私に内容が判るはずもなく、「まじめに中国語を勉強しておけばよかった」と後悔しきりです。
復路はいよいよ25号機が先頭に経ちます。下り坂で負担が少ないため、補機のDL-42を切り離して単独で客車を牽引します。阿里山鐵道ではシェイの動態保存機が3台います(25・26・31号機)が、惜しいことに全て重油炊きに改造されており、走行音や漂ってくる煙の匂いはディーゼル機関車のそれです。機関助手のなり手がなく、運転士一人で運転できるようにするためのやむを得ない措置だそうですが、それでも要所要所で汽笛を鳴らし、白い煙(石炭を焚かないので黒くならない)をくゆらせて走る姿は貫禄がありました。
竹崎で再び小休止です。ここで、これから阿里山へ向かう特快「阿里山號」と離合します。阿里山鐵道も、臨時列車がないときはこの「阿里山號」が1日に上下1本ずつ運転されるだけなので、個人旅行で乗車するときは乗車券購入が大変です。
竹崎駅で会った知人の許さんが自動車に乗せてくれることになり、主催者の方に断りを入れ、竹崎~嘉義間は走行シーンを撮影することにしました。今回は参加者が70人とかなり限られていたので撮影に回る人が多く、しかも速度が非常に遅い(20km/h出るかどうか)ので、撮影してはバイクや車で追い越してまた撮ることが簡単にできるため、沿線では同じ人を何度も見ることになりました。
嘉義在住の許さんのおかげでこのような俯瞰撮影もできました。先ほど木履寮で補機のDL-42を切り離したと書きましたが、その後はずっとシェイの200~300m程度後ろを付いて走っており、こうやって見ると滑稽でした。シェイを強調して撮りたいときに限って、このDLがかなり接近してくるので困りました。
現在はイベントや観光シーズンくらいでしか動くことのないシェイですが、世界的に有名な存在なので、健康状態(?)も考慮しつつ、定期的にその姿を見ることができれば嬉しいのですが…。
【撮影協力】HAYASHIさん、TT元さん、ktkrさん、許乃懿さん
2007/02/04 (Sun) 22:27
近鉄の新しい電気検測車「
はかるくん」ことモワ24系が2月3~6日に南大阪線で試運転を行いました。通常、この手の事業用車両が試運転といえども土~日曜日に走るのは珍しく、滅多にない機会だと私たちも前日にいた高松から駆けつけましたが、やはり沿線では多数の同業者を見かけました。
モワ24系は2400系2411Fを改造したもので、台車を交換して狭軌路線にも入線します(既に養老線にも入線したことがあります)。モワ24+クワ25のコンビですが、モワ24は動力車機能だけなので、今回は検測装置を持つクワ25のみが橿原神宮前の台車振替場で狭軌台車に振り返られ、6200系6221Fのあべの方に併結されて橿原神宮前~古市間を3往復しました。
私も実物を見たのは初めてでしたが、愛称の「はかるくん」が本当に車体に書かれているのが笑えます。側面には格子模様がペイントされていますが、これは格子→チェック=検測という意味だそうです。鉄道会社にここまで遊ばれると、ファンの方がどうしていいか困ってしまいます。
今回は出番のないモワ24は広軌台車のまま、橿原神宮前駅構内に留置されていました。
この他、南大阪線では昨年11月から新しいラッピング電車「
アートライナー 近鉄百貨店スマイルトレイン」(6215F)が登場しており、こちらも撮影できました。
それにしても、20年前までは私も南大阪線沿線住民でしたが、そのときの記憶から比べると、あちこちの駅舎が建て替えられ、特急停車駅は増えて大きく変貌していたので、そちらにも驚くことばかりでした。
【撮影協力】戸締役さん
2007/02/04 (Sun) 00:05
高松琴平電鉄ではオフィシャルDVD「セピアの響」を制作・発売していますが、このほど第3巻「琴平線編」の発売にあたり、2月3日に
記念イベントが開催されました。
今回は琴平線編ということで、琴平線を旧型車の特別列車が走る(ほとんどが元琴平線用の車両なので、古巣に復帰と言うところでしょうか)のがメインイベントでしたが、その前に瓦町に留置されていた300+315の仏生山への回送列車も注目されました。以前は特に珍しい編成でもなかったのですが、これすらも「追っかけ」の対象になるとは驚きです。
300+315は仏生山で120を連結し、臨時列車「セピアの響号」となって仏生山~高松築港~滝宮~一宮~滝宮と運転されました。ダイヤの都合上、
琴電琴平まで入線できないのは致し方ないところです。ヘッドマークが取り付けられましたが、前後で異なるデザインだったことには、後に仏生山検車区で間近に見るまで気づきませんでした。また、方向板も通常のレトロ風の白い物ではなく、通常使用されている緑色の板が掲出されましたが、意外に似合っていると思いました。
次いで、今回の目玉として、65が単行で仏生山~滝宮間片道に運転されました。こちらは回送で乗車不可能でしたが、撮影の便宜を図って行き先は「琴平」になっていました。有難い演出です。
滝宮で待機していた65は後から追いついてきた3連に併結され、4連となって滝宮~一宮間(この後、仏生山へ回送)に運転されました。編成美では1000・3000・5000形にかないませんが、パンタグラフ側を前に出した(このため最後尾になりましたが)ので、見栄えの良い編成になったと思います。
午後からは仏生山検車区で撮影会が行われました。はっきり言って、あまり撮影に適した条件とはいえない並べ方でしたが、それでも方向板が替えられる度についシャッターを切ってしまいます…。
ここでの主力はこの500です(全検切れのため臨時列車には使用されず)。最後までオパールホワイトとファンタゴンレッドの旧塗装で残っていたものの、このほど入場して他の車両と同じくレトロカラーに塗り替えられることとなり、この姿もこれで見納めです。私の周辺ではレトロよりもこの色の方が人気が高いのですが…。
この後、夕方5時からは120+500の組成で仏生山検車区でライトアップ撮影会が行われました。この時期でも5時ではまだまだ明るく、最初はこのように手持ちでも十分撮れるほどのものでした。
終了の6時近くになってようやく日も暮れ、暗闇にライトアップされた500が浮かび上がりました。結局、撮影会自体は30分ほど延長となりました。
タグ : 琴電「セピアの響」発売記念イベント
ブログ TOP