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39:さようなら福井鉄道80・120形

2006/06/26 (Mon) 00:25
 福井鉄道では4月から低床車が投入された後も、在来の高床車が多客時に出動していましたが、遂に80・120形が引退することになり、6月24~25日に「さようなら運転」が行われました。
 私は24日に岡山に行ったため、25日のみの訪問となりました。

 25日は全てが前日と逆の内容で、1本目に120形が走りました。なお、120形は福井鉄道最後の方向板掲示車で、方向板は「福井-武生」の簡易表示版(通常はこちらを付けていることが多かった)と「田原町(又は福井駅前)-武生新」の正規表示版があり、この日は簡易版を掲げてのお出ましでした。さようなら運転なので何らかの装飾はするだろうと思っていましたが、まさか額に文字を貼り付けるとは思いませんでした…。
家久~上鯖江間(日野川鉄橋)にて

 120形122Fは福井鉄道オリジナルのモハ122(昭和25年製、運輸省規格型電車の貴重な生き残り)と、元名鉄のクハ122(昭和4年製の三河鉄道100形が前身)の、全く経歴の異なる2両を改造のうえコンビにさせたもので、この数年は予備車の予備で滅多に出番がなく、たまに走るとそれだけで話題になる車両でした。モハには方向幕を設置していましたが、平成15年の「鉄道の日」イベントの際に方向板掲出のため撤去され、以後そのままでした。
市役所前~福井駅前間にて

 続いて登場の80形は終戦直後の車両供出で福井鉄道に譲渡された南海電鉄の木造車モユニ521形(大正11年製)を昭和31年に車体更新したもので、その後台車なども変更されたため、大正時代製というのはほとんど書類上だけの話になっています。いつでも走っていた車両だけに、これが最後とは俄かには信じ難いです。なお、80形の貫通扉には方向幕の上にかつての方向板掛け用の金具も残っており、板を掛けたら見栄えがするだろうと思っていると今回、最後の最後になって実現しました。こちらは「田原町-武生新」です。
上鯖江~家久間にて

 2編成とも全線を1往復した後、西武生車庫で撮影会が行われました。
西武生車庫にて

 福井鉄道は鉄道ファンには親切な会社ですが、今回の撮影会も2編成並びの次に80形を移動させてそれぞれを撮影しやすくするなど便宜を図って頂き、今回発売の記念乗車券も無事購入できて大満足で帰路につきました。
西武生車庫にて

 なお、前回訪問時は機器の不調でほとんど動いていなかった880形は、整備も終わったようで主力として活躍していました。前回は撮影できなかったコカコーラの広告電車888-889も無事撮影できましたが、全身を赤に塗ると、名鉄時代とあまり変わらないように見えます。
家久~上鯖江間にて
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38:岡山電気軌道3000形

2006/06/25 (Sun) 23:58
 6月24日にバスツアーで岡山に行ってきました。この中で、岡山電気軌道3000形をチャーター乗車しましたが、4月に「夢二」から「ピアノ電車」に塗り替えられた3010がやってきました。
岡山駅前にて

 これは、「CS学生デザイン賞」の入選作品だそうで、最近のこの手のペイント電車にしては控えめな好感の持てる塗色ですが、左右で色が異なる、撮影する側から見ればかなり曲者です。なお、車内は「夢二」のままでした。当面、土日祝日(第一週を除く)の午前中に東山線を2往復するとのことですが、非冷房のため6~9月頃は運休になります。 
東山にて

 なお、超低床車”MOMO”は登場後初めての重要部検査のため6月19日~7月12日は運休となっており、東山車庫で台車を外した状態で置かれていました。ここでは、普段は見る機会のないと思われる"MOMO"の台車の画像をお目にかけます。
東山車庫にて

路面電車トラックバック(0)|

37:台湾のC12

2006/06/12 (Mon) 23:12
 もはや国内と同じ感覚で出かけるようになってしまった台湾で、6月10日にSLが運転されると聞いて、早速出かけてきました。

 運転区間は台北の松山~平渓線菁桐間で、平渓線沿線はかつて炭鉱で栄えたことから、今回のイベントは「SL煤郷浪漫」と銘打たれました。これは台湾鐵路創建119周年記念イベントの一つですが、中華民國鐵道文化協會の貸切によるもので、前日の9日に常駐先の彰化機務段から回送されてきていたCK124にDR2050形4両に炭水車、そして補機にDLのS403を併結した編成でした。
松山駅に進入する特別列車

 CK120形は日本のC12形そのもので、日本統治時代の1936年に5両、1942年に2両が日本車輛で製造され、台湾総督府鉄道部C12形として活躍しました。戦後は一部改造のうえCK120形と改称され、主に支線で使用されていましたが、電化の進捗により1980年頃に引退しています。その後、台北近郊で静態保存されていたCK124が2001年の鐵路節(6月9日)に合わせてレストアされ、復活しました。C12形はSLの中では小型機ですが、台湾ではデフレクターが付けられているので勇ましく見え、実際より大型に見えます。
松山駅で発車を待つCK124

 松山から2つ目の汐止駅では後続の「莒光号」を待避するため10分ほど停車の間に、タブレット交換式が行われました。台湾でもタブレットを使用しているのは支線や南部のローカル区間のみとなっており、これはあくまでもアトラクションです。
汐止駅でのタブレット交換式

 風光明媚で知られる平渓線に入ると、雨だというのにめぼしいポイントには多くの鐵路迷(鉄道ファン)がカメラを手に待ち構えていました。台湾にも鉄道ファンが少なからずいますが、これほど大勢の鉄道ファンが集まったのは初めて見ました。
三貂嶺~大華間にて

 平渓線の中でも有名な十分駅手前の街なかを走る区間まで来ると、一般の観光客まで巻き込んで大騒ぎです。
十分駅手前を快送するCK124

 菁桐到着後は機回しのため、すぐに十分へ折り返していきます。この画像は補機のS403に引っ張られているだけですが、ファンサービスでしょうか、汽笛を鳴らしながら戻っていきました。 
菁桐駅にて

 CK124の専用客車とされたDR2050形も、今や貴重な車両です。ナローゲージ時代の台東線(花蓮~台東間)で活躍した気動車で、1970年代には世界最速のナローと呼ばれました。1982年の改軌後は1067mmの台車に履き替えましたが、現在は全車が引退し、この4両がモーターを降ろしてCK124のお相手をしています。「ドラえもん」のあだ名がありますが、客車化されても気動車の形式"DR"を名乗っているのは謎です。正面の片方には窓がなく、片目になっていますが、ここはトイレになっています。何分にも元ナローゲージの車両なので、車内はかなり狭苦しかったです。
十分駅にて(CK124の機回し中に撮影)

 十分で機回しと3時間半の休憩の後、松山へ戻るCK124です。今度は逆向きですが、ヘッドマークは付け替えられず、雰囲気が異なりました。この日は大雨と、朝に起きた「自強号」脱線事故のため全線で列車ダイヤが乱れており、平渓線内で10分遅れになっていたSL列車は、東部幹線に入ると想像以上のスピードを出していましたが、これは恐らく補機のS403が押していたためで、CK124の煙も白いまま(石炭をくべれば黒くなるはず)でした。結局、松山にはほぼ定時で到着しました。
十分駅にて

 台湾でもSLはイベントでしか走らない珍しい存在で、鉄道ファン以外にも家族連れや観光客で沿線は大賑わいでした。台湾では近年、鉄道旅行がブームで、鉄道の活性化のためにもこうした動きは喜ぶべきものなのですが、私たちがカメラを構えている前に平気で割り込んできてスナップ写真を撮る家族連れが多いのには困りました。

 松山到着後のCK124は七堵機務段に回送され、火を落とした後、翌11日にE200形に牽引されてねぐらの彰化に帰っていきました。私もダイヤを教えてもらって汐止駅で待っていましたが、予定時刻よりも50分遅れで通過していきました。
汐止駅にて

 撮影協力:ktkrさん、Chengさん、nihonjungさん、HAYASHIさん

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